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HOME > 今成鈿女の山車

変わった山車?

私たちが乗る今成の山車は、四ツ車一本柱高欄付という形です。
原型は天保年間に作られたと伝えられており、川越の山車で最も古く、唯一の形です。
もとは旧鍛治町(幸町)が所有する山車でしたが、明治10年(1877年)に当時の今成村が譲り受けました。その後の明治22年(1889年)、周囲5ヶ村との合併とともに天鈿女命(あめのうずめのみこと)の人形を制作し、現在の形になったということです。
また、明治26年の川越大火で市街の山車が部分的に焼失した際も、この山車は無傷で残りました。

昭和3年(1928年)に開催された昭和天皇即位の大祭に出て以降、今成の山車は市街に曳き出されなくなりました。市街への曳き出しにはそれなりの予算を必要とするため、金銭的な問題もあったようです。
昭和43年(1968年)、川越市の山車10台が県指定有形民俗文化財に指定されました。今成の山車はそのうちの1台でした。
その後も山車は今成熊野神社の社務所に保管されていましたが、昭和52年(1977年)に熊野神社社務所の火災により一部を焼失してしまいます。
昭和61年(1986年)年に修復して市街を曳き回すまでの約60年間、今成の山車は倉庫に眠っていました。

新しい山車と並ぶと、パッと見は小さくて見劣りしますが、実は川越まつりの変遷を知る上で非常に貴重な山車です。
県指定の重要文化財になっている背景にはこういう理由があるんです。

回り舞台型の山車と異なり、曳っかわせではジャッキアップして山車を丸ごと方向転換します。
かつてはテコ棒を咬ませて前輪を浮かせ、一気に方向転換させていたようです。
息がぴったり合った職方の山車さばきはさぞかし粋だったことでしょう。
近年では運行スケジュールの関係で方向転換が簡便なキャスターを使用することもあります。